大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和31年(ネ)167号 判決 1957年12月26日

控訴人 菊地武夫

被控訴人 国

訴訟代理人 横山茂晴 外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し別紙目録記載の不動産について所有権移転登記手続をし、かつこれを引渡せ。被控訴人は右不動産中鉱泉地内から湧出する温泉量の三分の一を使用するのを止め、控訴人が使用するのを妨害してはならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠の提出、援用、認否は、控訴人が、

(1)  原判決二枚目表四行目の「無償譲渡」を「無償交付」と、同三枚年表四行目の「贈与契約」を「寄付」とそれぞれ改める。原判決添付目録「同二五番の二、畑九畝一一歩」は「同一五番の二、畑九畝一一歩」の誤記である。

(2)  控訴人は、陸軍が本件土地に陸軍傷病者診療所を建設し本件鉱泉地を右診療所で使用したいということであつたので、使用目的を右に限定して寄付を申出たのであつて、その範囲は現在の二五番の六(当時の二五番の二のうち)、二五番の五(当時の二五番の一のうち)、一五番の二(当時の一五番の一のうち)の部分及び一〇番、七番の三の部分と鉱泉地一六番の四のうちから湧出する温泉量の三分の一の使用権とのことであつたので、控訴人は昭和一二年一一月五日その趣旨の寄付願(甲第八号証)を提出した。同号証中「七番の二」とあるのは「七番の三」の誤記であることは甲第五号証を参照すればわかる。ところで、当時軍が右寄付の対象地を実測したところ、右土地は鉱泉地のほか二五番の六、二五番の五、一五番の二、七番の三、一〇番となり、その実測面積は合計九反四畝二五歩(登記簿上は合計八反七畝一六歩-二、六二六坪)となつたので、控訴人は指示により正確な地番と実測面積を記載した寄付願(甲第五号証)を提出した。

(3)  当時は国を挙げて日支事変の収拾中であり、軍は傷病者の収容と治療場所に困り控訴人に対し本件土地及び温泉を陸軍傷病者療養所敷地として寄付することを要求したので、控訴人は当時の情勢から止むなくもつぱら「恤兵報国」の趣旨を以て本件土地を右「陸軍傷病者療養所敷地」として特にその用途を指定して寄付申出をするとともに将来陸軍で用途廃止の場合は無償で返還を受けることを寄付の条件としたところ、軍もこれに対しなんらの異議なくこれを諒承したので、控訴人は右趣旨を記載した寄付願を提出し、軍はこれをそのまま採納し、昭和一三年一〇月二〇日陸軍省名義に所有権移転登記手続をし、昭和一四年八月ごろ控訴人に対し仙台陸軍病院臨時鳴子分院敷地としてこれを受納する旨の受納書(甲第六号証)を交付した。

(4)  右のように本件土地の寄付は条件付であつたのであり終戦後陸軍が廃止され、昭和二〇年一二月一日勅令六七五号で陸軍省官制も廃止された以上同日本件土地等について陸軍の用途は廃止されたものといわなければならないから、前記条件の趣旨に従い本件土地は控訴人の所有に帰したものであり、仮に右条件成就により所有権が当然に復帰しないとしても、右時期以後、国はこれを控訴人に返還すべき義務を負担するに至つたのである。

(5)  軍が廃止されても国が今日この土地を使用している以上、用途が廃止されたとはいえないから国が本件土地を控訴人に返還する必要がないという見解は前記寄付の趣旨に関する当事者の意思を全く度外視したものであり到底認容できない。控訴人は軍が使用するというので戦時中の当時として止むを得ず寄付の要求に応じたのであつて、軍以外の国家機関にこれを寄付する意思は全くなかつたのであるから軍の廃止された今日当然これが返還を求め得るものといわなければならない。

(6)  控訴人は右のように本件土地所有権移転(寄付)の協力の消滅を軍の用途廃止という事実の発生にかからしめたのであるから右条件の成就により本件土地の所有権は当然控訴人に復帰すると考えるのであるが、仮にこの場合所有権そのものが当然には復帰せず、単に国に対する所有権移転請求権が発生するに止まるとするならば、控訴人は予備的に右請求権に基ずき本訴請求をする。

(7)  陸軍病院鳴子分院は乙第一号証によつて明らかなとおり控訴人の土地献納に端を発しその隣接地の買収、寄付などにより建設されたものであるが、控訴人所有地の買収と本件寄付とは別個の問題である。軍は本件土地につき終戦に至るまでなんらの施設をすることなく原野として放置しておいたが、被控訴人は昭和二十五、六年ごろ(本訴提起後)西端の一部に霊安室を健設した。と述べ、

被控訴人が、

(1)  本件土地の寄付について使用目的を陸軍傷病兵療養所敷地と限定したことも、控訴人主張のような条件が付されたこともない。

(2)  仮に右条件が付された寄付であるとしても、本件寄付のされた昭和一三年当時はいわゆる支那事変の始まつたばかりの時で戦局の見通しもつかず、いわんや戦争に敗れるとか、陸軍が消滅するとかいうようなことは考えられたこともなく、控訴人のつけた「条件」は要するに本件土地を使用する必要がなくなつたら他人に処分されるよりは寄付した自分に返してもらいたいというのがその動機で、本件土地は陸軍で療養所敷地に使用するということから、陸軍で療養所を廃止すれば本件土地は不要となり、不要になることはすなわち陸軍で療養所を廃止することであると考えて寄付願に「陸軍において用途廃止の場合は無償を以て交付を受ける」との文言を付したもので、右条件というものは単に「いらなくなつたら返してもらう」という程度の軽い意味のものであると考えざるを得ない。このことは、控訴人が寄付したのは陸軍で必要とした土地、温泉使用権の一部に過ぎず、残余は宮城県で控訴人から買収して国に寄付したものであつて、寄付と買収は併行して進められながら買収の方には買戻の特約がされていないこと、陸軍では将来総合病院を建設する予定であつて、本件土地を使用する必要がなくなるとはほとんど考えられなかつたこと、控訴人は最初から条件をつけたのではなく、書類上の手続をとる段階になつて条件を申出たものであること等の諸事情を合せ考えるときはまことに明らかであるといわなければならない。

(3)  本件の陸軍傷病兵療養所は陸軍省の廃止により厚生省に移管され国立鳴子病院となつたのであるが、その実態をみれば治療対象者が広く一般国民に解放されただけで病院であることにおいては変りがない。このことと、前述のような本件寄付に「条件」がつけられるに至つた事情をあわせ考えれば、傷病兵の療養所が国立鳴子病院に変つただけで、本件土地が不要の土地となつたとするのは妥当でなく、「陸軍において用途廃止の場合」とは(現在では「国において用途廃止の場合」と解すべきであり、そうでないとしても、「国立鳴子病院が廃止され、本件土地が不要の土地となつた場合」の意味であると解するのが相当である。そして控訴人の寄付した土地と温泉とは現在国立鳴子病院の用に供されているのである(本件係争地は鳴子町江合川左岸に沿い、後方は急傾斜の斜面で杉等の樹木が繁茂し、東方は末沢に接し、係争地を含むその他の土地と共に一囲の土地であつて、客観的にも病院敷地の一部となつている。係争地上には昭和二五年八月一五日霊安室が新築されただけであつて、その大部分は病院施設が建造されていないが、現に非常の際の患者退避所とされているほか病院拡張計画に伴う病棟及び公務員宿舎の建設予定地となつている。すなわち、病院拡張計画に基ずき昭和二九年度工事として病棟一棟(一六〇坪、五〇床)、昭和三〇年度工事として公務員宿舎(九坪二戸建)一棟を各建設し、なお現在病床数一五四床を三〇〇床に拡張する敷地として本件係争地を予定している)から、これが控訴人に復帰したり、あるいは被控訴人にこれを控訴人に譲渡する義務を生ずるいわれはない。と述べ、

証として、控訴人が甲第一三号証の一、二、第一三号証、第一四号証拠の一ないし三を提出し、当審証人高橋清三郎、藤島嘉孝、新田小源太、日野薫、菊地ていの各証言を援用し、乙第二、三号証の成立を認め、被控訴人が乙第二、三号証を提出し、甲第一二号証の一、二は軍が作成した図面であることを認める。同第一三、一四号各証の成立を全部認める、と述べたほかは原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

理由

別紙目録記載の土地がもと控訴人の所有であつたこと、右土地中鉱泉地内から湧出する温泉量の三分の一の温泉使用権が控訴人に属していたこと、控訴人が陸軍傷病兵療養所建設のための敷地及び鉱泉として前記土地及び温泉使用権を陸軍省に寄付し、昭和一三年一〇月二〇日右土地について陸軍省名義に所有権移転登記を経由したこと、現在被控訴人が右土地及び温泉使用権を占有使用していることは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一、二号証、第三号証の一ないし三、第四号証によれば右寄付は昭和一三年九月二八日にされたことを認めることができる。

控訴人は、右寄付には陸軍において前記用途を廃止した場合には当然右寄付した土地の所有権、温泉使用権が原告に帰属することの条件がついていたと主張するので考えてみるのに、原審での控訴本人尋問の結果により控訴人が陸軍大臣あてに提出した寄付願の草案であると認められる甲第五号証、右尋問の結果でその成立の認められる甲第八号証、原本の存在及びその成立に争のない甲第九号証の一、当審証人日野薫の証言で東北財務局が旧陸軍から引継いだ書類であることが明らかな甲第一一号証の三、成立に争のない甲第一三号証、原審証人野地紀、熊谷用蔵、原審及び当審証人高橋清三郎、藤島嘉孝、新田小源太の各証言、原審での控訴本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認定することができる。陸軍は日支事変のため傷病兵療養所の設置にせまられ、第二師団ではその敷地を物色していたこと、本来土地の寄付に関する事項は師団経理部の所管であつたが、仙台陸軍病院軍医部々員であつた新田小源太は、軍医部長熊谷用蔵の内命を受けて、昭和一、二年九月ごろから本件寄付について控訴人と下交渉したこと、控訴人はその後新田とは一〇回くらい熊谷とは三、四回くらい、面接交渉し、いよいよ寄付することに話がまとまつたので、さらに事実上師団経理部の経理部長の仕事をしていた野地紀に会つて、正式に寄付の件を協議したこと、控訴人は終始右寄付については陸軍が将来用途を廃止したときは、無償で控訴人に返還することの条件を付することを要望し、新田、熊谷、野地らも右条件を承諾したこと、控訴人は、寄付願(甲第八号証)を提出したが、軍当局からこのように書き直して提出するようにと下書を示されたので、控訴人は、再び右下書どおりの寄付願(甲第五号証)を提出したこと、右甲第五、八号証各証にいずれも前記条件が明記されていること、以上の各事実を認定することができるから、本件寄付は控訴人主張のような条件が付されて受納されたものと認定するのが相当である。甲第六号証(陸軍大臣名義の受納書)には特に右のような条件を明記してはないが、前示認定の事情からすると、陸軍大臣が右条件を排除して献納を受納したものとは認めがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

控訴人は、昭和二〇年一二月一日勅令六七五号で陸軍省官制が廃止されたから、同日本件土地等についての陸軍の用途は廃止されたものであり、したがつて前記条件の趣旨に従い、本件土地等は控訴人の所有に帰したと主張するが、当時陸軍がなくなるというようなことは何人も夢想だにしなかつたところと認めるべきであるから、右条件は、陸軍が存続することを前提とし、存続する陸軍が本件土地等を不必要とするに至つた場合、これを控訴人に返還することを約したものと解すべきである。このことは、控訴人が原審で、「寄付した土地を他にやられるよりは私の方によこしてもらいたいという考えがあつたので、条件をつけたのである。」と供述している点からも推測することができる。そうすると、陸軍省官制の廃止によつて本件条件が就成したとの控訴人の主張は容認することができない。そして原審証人栗林正雄、後藤鉄雄の各証言によると、陸軍省の所管であつた本件土地等は、終戦後大蔵省の所管となり、昭和二三年二月二八日さらに現在の厚生省に移転され、陸軍省廃止後引続き国立鳴子病院の敷地として使用されていることが認められるから右事実に先きに認定した諸般の事実を総合すると、控訴人主張の条件は、その後の事情の変更により、国が用途を廃止した場合と解するのが相当であるから、この点からするも控訴人の主張は採用できない。

なお、控訴人主張のとおり条件が成就したものと仮定するも、甲第九号証の一、第一三号証によれば、本件土地等の所有権が当然直ちに控訴人に復帰したものとは認めがたいところ、前記証人後藤鉄雄の証言によれば、本件土地等は、国有財産法に定める行政財産のうちの公用財産であることが明らかであり、行政財産を譲与することができないことはいうまでもないことであるから、この点からするも、控訴人の本訴請求は失当である。

したがつて、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であるから、民訴三八四条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 斉藤規矩三 沼尻芳孝 羽染徳次)

目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例